1909(明42)年 12月29日 (戸籍では11月29日) |
- 山口県下関市丸山町に誕生。父久米吉、母ヤスの四男四女の末娘。
|
1912(明45)年 絹代 2歳 |
|
1916(大5)年 絹代 6歳 |
|
1917(大7)年 絹代 7歳 |
|
1918(大7)年 絹代 8歳 |
- 天王寺小学校三年に編入、新たに筑前琵琶の師につく。
|
1919(大8)年 絹代 9歳 |
- 師匠宮崎錦城の琵琶少女歌劇に入り、楽天地の舞台に立ちスターとして活躍。
|
1924(大13)年 絹代 14歳 |
- 九月、京都下加茂撮影所入所。野村芳亭監督『元禄女』の犬の腰元役でデビュー。次いで、新進監督清水宏が『村の牧場』の主役に抜擢。
|
1925(大14)年 絹代 15歳 |
- 六月、野村、清水両監督に従って東京・蒲田撮影所へ移籍。
|
1927(昭2)年 絹代 17歳 |
- 五所平之助監督による『恥しい夢』が好評を得て出世作となる。
この年清水監督の求婚を受けて、同棲生活に入る。
|
1928(昭3)年 絹代 18歳 |
- トップスター鈴木傳明の相手役として売り出す。牛原虚彦監督『近代武者修行』『彼と田園』『陸の王者』でコンビを定着。
|
1929(昭4)年 絹代 19歳 |
- 松竹幹部に昇進。牛原作品に続き、新進の小津安二郎監督『大学は出たけれど』に主演、清純派人気スターの座を確保。清水監督との同棲生活は破局。
|
1931(昭6)年 絹代 21歳 |
- 松竹初のオールトーキー映画『マダムと女房』(五所平之助監督)に出演。
|
1932(昭7)年 絹代 22歳 |
- 下加茂の時代劇スター林長二郎(後の長谷川一夫)と組んだ『金色夜叉』が大ヒット。
- 満州事変勃発
|
|
|